Noireの自己紹介【前編】
皆さんはじめまして。
この度ブログを始めさせていただきましたNoireと申します。
本ブログでは基本的に会社員のNoireこと私が散財したもののレビューを中心に、適当なことを書かせていただくつもりです。
Noireはフランス語で黒を意味する単語です。ノアールと読みます。
ちなみにNoireは女性名詞ですが筆者は残念ながら男でございます。
年齢は記事執筆時点で20代後半です。
名前の由来については、気が向いたら本ブログで書かせていただくかもしれません。
これからブログを執筆させて頂くにあたり、私の自己紹介をさせていただきます。
私の幼少期から現在までの生い立ちと、趣味の変遷などを書かせていただきますので、お時間のある方は読んでいってください。
・幼少期
東北地方で生まれる。
親の仕事の都合で1歳になるのを待たずして海外へ。
ヨーロッパで幼少期の5年間を過ごす。
日本の祖母がVHSに録画したNHKの子供向けクラシック音楽番組が大好きで、時間が許す限り音楽を聞いていた。
習い事はピアノのみだったが現在は弾けず。
幼稚園年長に進級するタイミングで日本へ帰国。
・小学生時代
小学1年生まで関西で過ごす。
この時すでに幼少期習得していた英語技能は、関西弁に脳内を侵食されたせいで失われている。
小学2年生からまたもや親の転勤で関東へ。
関東で初めて喋ったクラスメイトが関西弁を聞き取れず、何語を喋っているのかと真顔で聞かれ精神崩壊する。
小学2年の途中からテニスを始めるが、運動神経が悪かったのと、太り気味だったせいで小学6年まで続けるも全く上達しなかった。
・中学時代
中学は必ず部活に入らないといけないシステムだったため、テニスをやめてバレーボール部に入部。
バレーボールを選んだ理由は痩せたかったため。
バスケ部も考えたが走るのが嫌いだったため除外。
この頃はバレーボールのことを舐め腐っており、走らなくていいから楽そうだな~とか楽観視していた。
1~2年生の時はBUMP OF CHICKINやRAD WIMPSやELLE GARDENが流行っており、その流れに乗ってJ-ROCKばかり聞いていた。
ニコニコ動画にハマり、時間さえあればボカロ曲なども節操なく漁っていた。
この頃から姉が深夜アニメにハマり始めており、その影響で自分も深夜アニメを見始める。
2年生になり、真剣にバレーボールに向き合うようになる。
この頃から進路はバレーボール強豪校にしようと決めていた。
3年生になり夏の大会が終わって進路選択のときに、ただでさえ低い自分の偏差値よりもさらに偏差値が低いバレー強豪校に進学することを親に打ち明けると、父親から猛反対をうけたが、母親のフォローもあり無事許しを得る。
3年生は夏の大会を引退すると基本的に受験勉強をするものだが、進学先は偏差値が自分より20も低い学校だったため、勉強など全くせずにアニメを見たりラノベを読んだりして暇をつぶしていた。
※筆者が高校受験した時代は公立高校は前期入試と後期入試で分かれており、前期入試は内申点と面接のみで合否が確定するため、成績に余裕がある場合は受験勉強が必要ない。
・高校時代
バレーボールの強豪校だったため朝は始発のバスで1時間半かけて通学し、帰りは9時過ぎに帰路につく生活をしていた。
この頃は日夜バレーの練習とトレーニングに明け暮れており、深夜アニメやボカロなどと接する時間が中学に比べめっきり減っていた。
常時精神的に追い詰められており、この時代の自分を支えていたのはボカロと水樹奈々と数々のアニソンだった。
なお、高校はスポーツ科だったため、周囲にオタクはおらず、高校2年のときにオタクの後輩(O氏)がバレー部に入部してくるまでは一人ひっそりと教室でラノベを読んでいた。
ちなみに最終的な成績は県ベスト4止まりだった。
高校では何故か成績優秀だったため指定校推薦で地元の私立大学に進学。
・大学時代
大学時代は高校時代のトレーナーの紹介でバレーボールサークルに所属。
進学した学科は電気電子工学科だったため、お察しの通りオタクだらけであった。
私は水を得た魚のようにオタク友だちを作り、リアタイで深夜アニメを貪り、1限は欠席していた。
大学2年のときに転機が訪れる。
アマゾンでセールされていたSENNHEISERのHD598を購入したのである。
当時30,000円近くしたため、大学生にとっては重すぎる出費だったが、2ちゃんねるオーディオ板で推されていたため震えながら購入した。
これは今までオーディオテクニカの5000円のイヤホンしか使ったことのなかった自分にとって、信じられないほどの高音質であった。
HD598の購入してすぐに、もっと高音質を体験してみたくなりヘッドホンアンプの購入に踏み切る。
ろくに試聴もせず2ちゃんねるで推されていたFOSTEXのHP-A3を購入。
この2点の商品の購入を皮切りにズブズブとオーディオ沼にハマっていった。
ここからオーディオに対する投資が止まらなくなり、TEACのUD-501とSTAXのSRS-3170を購入した。
当時地元のスーパーで最低賃金で働いていたが、オーディオ購入資金がたりなくなり、知人の紹介で家電量販店のアルバイトを始める。
家電量販店で働き始めてしばらくすると、オーディオが趣味ということが社内に知れ渡り、オーディオ担当のマネージャーから声をかけられ、ハイエンドオーディオ専門部署へ異動する。
その部署では所謂ピュアオーディオを取り扱っており、B&Wの802SDとAccuphaseの組み合わせを聞き、ヘッドホンやイヤホンでは出せない音に感動する。
この頃所持していたヘッドホンをすべて売却しスピーカーに移行し始める。
記念すべき最初に購入したスピーカーは当時定番だったDALIのZENSOR1だった。
これをONKYOのオーディオレシーバー(型式失念)で鳴らしていた。
すでに802SDとAccuphaseを体験していた私は当然ながら全く満足していなかった。
オーディオ専門店に勤めていたため、自分の中で音の好みは出来上がっていたし、何より聞きたい機器が好きなときに聞ける環境だったため、次のスピーカーの候補はすぐに決まった。
その1年後、清水の舞台から飛び降りる思いで購入したのはVienna AcousticのHaydn Grand Symphony Editionだった。
このスピーカーは現在でも実家のリビングで使っている。
購入の決め手となったのは広域のシルキーさとアニソンを聞いても破綻しない対応力だった。
スピーカーを購入し、次はアンプだろうということでかねてから憧れていたLUXMANのL-505uXをこの1年後に購入した。
後編に続く。